すっごい重いタイトルですみません。
本当はポジティブな記事ばかり書きたいのですが、たまにはクソ真面目な記事を書くことも大切かなって。
そんなわけで今日は、私の真っ黒な部分、つまり豊満わがままボディな部分をお見せしちゃおうと思います。
しっかり見たんだから責任とってよネ・・・!
ニートの私が死にたいと考えた経緯
ニートの私が死にたいと感じるまでにいたった経緯について紹介しますね。
私は中学2年生のときに心の病気を発症して引きこもりニートに。(この当時は病名を知らなかった)
毎日のようにパニック発作を起こすが病名もわからないし、とても親に相談できるような内容でもない。
そのため、親からしたら「不真面目な子供だ」ぐらいにしか思っていなかったでしょうね。
そんな日々を1年ほど続けたある夜、いつもよりきついパニック発作に襲われ、藁にもすがるような思いで母親に症状を打ち明けました。
その際に母親が言った言葉は「気にしすぎ、大丈夫だよ」と全く相手にはされませんでした。
自分のこの苦しさは誰にも理解してもらえないんだ。そう思ったときに、またきついパニック発作に襲われるぐらいなら死んだほうがマシかもしれないと考えました。
このときはまだニートではありませんが、私が初めて死にたいと思ったときですね。
いずれこの辛い症状は無くなる、そう自分に言い聞かせてその場を持ちこたえたのを今でも覚えています。
生きるモチベーションを手に入れる
その後、中学を卒業して不登校向けの高校に入学。
しかし全く登校しなかったために、1年で中退して華麗にニートデビュー。
最終学歴が中卒となった私は、「将来自分で生活できるのかな・・・このままずっと心の病気で苦しんで生きていくのかな・・・」そんなことを毎日のように考えるようになりました。
ぶっちゃけ学歴なんて本当はどうでもよかったんですけどね。
それよりもとにかく心の病気から開放されて楽になりたいという気持ちがなによりも強かったです。
ですが現実はそう甘くなく、心の病気はまったく治る気配がありませんでした。
もう何かをすることもめんどくさくなって毎日ずーっと布団で寝続ける日々、そんな生活を長期的に続けていると「自分は何のために生きているんだろう?」と自分が生きている意味を見出せなくなっちゃたんですよね。
そんなことを考えているとめちゃくちゃ怖くなってきて、気を紛らわせようととにかくYouTubeやニコニコ動画を再生しまくりました。
そんなときにYouTubeで見つけたのが、世界の絶景動画。
それを見た私は「死ぬまでに行って自分の目で見てみたい!!」と思いました。
生きるモチベーションが上がったのなんて数年ぶりだったので、自分でもかなりびっくりしたのを覚えています。
自分の病気と向き合う
とりあえず何か行動に移さなければと感じた私は、不安で今までずっと調べられなかった自分の症状を調べることにしました。
「調べて病名がわからなかったらもう治せない」
「病名がわかったとしても怖いことが書いてあったらどうしよう」
そんなことを考えると怖くて行動に移せなかったんですよね。
ドキドキしながら本屋で情報を漁っていると、私の症状にぴったり一致する病名を発見!
それは強迫性障害という病気でした。(この時は気づきませんでしたが、後からパニック障害と軽度の自閉症も持っていると病院で診断されました)
早めに治療すれば治る可能性がある病気とのこと。
私は長期的に放置してしまったためにかなり重度の症状になってしまったのだと思います。
落ち込む要素はもちろんありましたが、とりあえず病名がわかっただけでもすっっごい気が楽になったのを覚えています。
新たな問題が発生
病名が判明したその後、独学でめっちゃ勉強して高卒認定試験に合格。なんとか同級生と同じタイミングで大学に入学することができました。
人とのコミュニケーションの場に出るのはかなりひさびさのことだったのですが、入学後にある問題が判明します。
それは下記の2つ。
- 人がいる閉鎖空間に行くと吐き気に襲われる
- 外食に行くと食べ物が一口も喉をとおらない
人がいる閉鎖空間に行くと吐き気に襲われる
病気を発症する前から人が大勢いる空間は苦手だったのですが、まさか吐き気を感じるまでとは自分でも驚きました。
「そんな気がするだけじゃない?」と思うかもしれませんが、実際にトイレに駆け込むこともあるのでシャレにならなかったです。
外食に行くと食べ物が一口も喉をとおらない
これは中学時代からたまにあったんですよね。
「まったく食べなかったら店員や友人から変に思われる」
「人前で吐いてしまったらどうしよう」
そんなことを考えると余計に食べ物が喉を通らなくなっちゃうんですよね。
開放的なイートインコーナー・学食ならある程度は食べれるのですが、定食屋・ラーメン屋などは入るだけで冷や汗がやばかったです。
上記のような症状のせいで「せっかくできた友人に迷惑をかけたり、変に思われたくない!」そんなことを思って友人と同じ講義や外食を避けようと、せっかくできた友人に冷たい態度をとってしまったことを今でも悔やんでいます。
大学に行くだけで疲労がやばいしすぐにでも辞めようかとも考えましたが、ここで辞めたらもう立ち直れないかもしれない、認定試験で資格を持っているとはいえ学歴は中卒になる、親に高い学費を出してもらってるなどの理由から諦めずに続けることにしました。
それからというもの、人が少ない講義だけを探して単位を取る、いつでもトイレに駆け込めるようにドア付近の席を確保する、学食でお弁当を買って室外で食べるというぼっち生活を送り続け、なんとか4年間で無事に卒業。
今のまま就職をしても絶対にすぐに辞めてしまうと思っていたので、就職活動はほぼしていませんでした。
ニートになり再び「死にたい」と感じる
そして就職先も決まらぬまま、大学卒業後の最後の春休みに突入。
根本的に解決しないかぎり道は開けないと感じ、勇気を出して人生初の心療内科に向かいました。
そこで医者から診断された病名は、強迫性障害、パニック障害、重度の社交不安性障害、病気とは診断されないレベルの軽度の自閉症。
このときに初めて自分がパニック障害を持っていることを知りました。
「こんなにいっぱい・・・?」とショックを受けましたが、今まで家族・友人にすら打ち明けたことのない病気を誰かに話せたことで、少しだけ気が楽になったのを覚えています。
(中学時代に一度だけ相談した母親は私が病気だとは思っていないため)
そして薬の服用と定期的なカウンセリングで治療をすることに。
カウンセリングは2週間に1度でお値段は5400円。
バイト経験もほぼない私には高すぎる値段ですが、少しだけあった自分の貯金をくずしながら5ヶ月ほど通院しました。
しかし5ヶ月経っても全く良くならないうえに、パニックを抑える薬すら全然効果がない。
8年間も放置してたらそりゃそんなすぐ治るわけないですよね。
お金も底を尽きかけていたために、心療内科への通院はやめることにしました。
勇気を出して心療内科に行ったのにそれでも治らなかった、それにこのままの状態じゃ普通に仕事をするのもきびしい。
このときに私は再び「いっそ死んで楽になりたい」と思いました。
死ぬぐらいなら足掻いてやる
心療内科への通院を辞めたその後、数ヶ月ほどまた布団で寝てばかりの日々を過ごします。
そんな日々で感じたのは、もう死ぬことに対して恐怖なんてないということ。
本来なら人間にとって一番の恐怖である死。
その死ですら怖くないならある意味無敵なんじゃ?
そう思った私は、これからの人生を捨て身で生きてやろうと決意しました。
今まで10年近く生き地獄を生きてきたわけだし、今さら怖いものなんて無い。
このときに、自殺したい・死にたいという感情を捨てることができました。
将来よりも今を楽しんで生きよう!
私たちニートの一番の恐怖は将来を考えること。
そりゃあこのまま仕事もしなかったら「将来どうやって生きていくんだ・・・?」って不安にもなりますよね。
でもよく考えてみると私の場合、一度は自分で死ぬことまで考えた。
なら将来、自分がどうやって生きていくかなんてどうでもいいことなのだ。
生きている今を必死に楽しめれば、その後なんてどうでもいい。
(できれば半永久的に優しいお姉さんに頭ナデナデしてほしいけど)
楽しむだけ楽しんでいつ燃え尽きてもいいじゃないか。
(できれば半永久的に道端でパンくわえた美人女子高生とぶつかりまくりたいけど)
今さえ楽しければどうでもい・・・どうでもよくねぇ!!
綺麗なお姉さんがかわいがってくれるなら50代だろうが60代だろうが生きぬきてぇ!生きぬきてぇよ・・・!
とまあだいぶ話は脱線しちゃいましたが、今を楽しんでいれば、もしかしたらこのまま10年後も20年後も楽しいまま生きていけるかもしれないじゃないすか!?
まだ見えない将来を考えて苦しむよりも、今を必死に楽しもうと思うんだ。
(めっちゃえらそうなこと言ってますが、今でも私はたまに不安になります。小心者ですまねぇ・・・!)
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